屋根裏時代のザ・RC・サクセションの写真を撮っていたのがきっかけで、『ロッキンf』でプロとしてデビューしたのが79年。すぐに、いろいろなバンドを撮るようになった。
といっても、ぼくの写真の知識は、中学校の写真部の不真面目な部員だった程度のものだったから、仕事の場が、即、勉強の場だった。いま考えると、おそろしい話だ。
ただ、ぼくには、誰に教えられなくても、絶対的な構図感覚みたいなものがあった。理論を勉強をしたことはなかったが、構図が決まっていないと気持ちが悪い。比喩ではなくて、ほんとうに気持ちが悪くて、シャッターが切れないのだ。
だから、ぼくの写真は隙がない。狙ったアーチストは、はずさない。
シャッターもやたらに切らない。たぶん、ぼくは日本で一番シャッターを切らないカメラマンだと思う。
でも、それはいいことでも悪いことでもあった。ぼくが求めていたのは、自分がライブで体感したイメージを写真にすること。なのに、セレクションの時に、中学生の女の子がキャーキャーいうようなカットを選ぶと言われて、マネージャーと喧嘩になり、好きだったバンドのオフィシャルを降ろされたこともあった。
でも、当時のぼくは、生意気と言われても、レッテルを貼られても平気だった。